雑学・コラム 石川県

2024.7.11 更新

能登、復興への道 【珠洲温泉宝湯】〜石川県珠洲市宝立町〜 銭湯が全壊しても地域のために前を向く「風呂屋」としての想い

全壊した宝湯本館と橋元さん

開業から126年の長きにわたり地元に親しまれてきた銭湯【珠洲温泉宝湯】
令和5年5月に起きた地震被害を復旧する目的で立ち上げたクラウドファンディングの最中「令和6年能登半島地震」が発生しました。
復旧を目指した施設は全壊し、多くの常連さんの住んでいた珠洲市は大きな被害を受けました。
それでも地域のために前を向き、復興を目指す4代目店主の橋元宗太郎さんにお話を伺ってきました。

1.地震の発生

元日の穏やかな時間を襲った令和6年能登半島地震。
銭湯のあった石川県珠洲市を地震の大きな揺れが襲い、大津波警報も発令。
家屋や電柱などが倒れる中、消防団員でもあった橋元さんは地域の人の救助に奔走しました。
避難先から戻ってきて見たのは、地震と津波に襲われ変わり果てた町並みと全壊した銭湯でした。

全壊した宝湯本館(写真左)
震災後の町並み

橋元さんは地域の消防団員として地域支援を行いながらも、ライフラインが途絶えた中で避難生活を送っていました。
地震が起きた当初は全壊した銭湯を前にし、再開はもう無理かと考えることもあったようです。

消防団としての活動も一息つき、橋元さんは被害状況をSNSで報告すると多くの反響がありました。
過去に宝湯を訪れた方が情報を拡散してくれたのです!
多くの人から支援の申出や、励ましのコメントがあったといいます。
当時実施していたクラウドファンディングには1週間で50人以上の支援が集まりました。
「リターンはいらないので復興に役立てて欲しい」との善意の支援の声も多くあったそうです。

地震から数日後に全壊した銭湯のあった場所に近づくと水音が聞こえ、がれきの中を確認すると源泉が生きていることが分かりました。
橋元さんは当時の気持ちを「暗闇の中で光を見た気がした」と表現しています。
橋元さんは地震での倒壊を免れた宝湯別館の宿泊施設にホースとポンプを使って源泉のお湯を引きました。
倒壊した建物の廃材を薪として利用し、2月から地域の人にお風呂を提供しています。
お風呂に入った避難者の喜びの声や、励ましの言葉で橋元さんは珠洲温泉宝湯の再開意欲が高まったそうです。

倒壊した宝湯本館からホースで源泉を引く
倒壊した宝湯本館の廃材を燃やし源泉を加温する

2.倒壊した珠洲温泉宝湯について

倒壊前の珠洲温泉宝湯は1階部分は銭湯として、2階部分は町の歴史や文化を伝える展示場として使用された施設です。
第一回奥能登国際芸術祭2017では写真家・石川直樹氏の展示会場として使用され、一日に500人もの人が訪れたことがあると橋元さんが嬉しそうにお話していたのが印象的でした。

舞台や行事ににも使用された宝湯
大広間には舞台が備えつけられていた

1階部分のお風呂はシンプルな造りですが、懐かしさを感じさせるレトロな雰囲気を持っており、橋元さんが薪で沸かすお湯は「身体の芯まで温まる」と評判で、多くの常連さんに喜ばれていました。

宝湯本館の玄関
宝湯本館の番台

2階部分は結婚式などでも使われていた舞台付の大広間、曲がりくねった階段など不思議な魅力がたくさんあり、ところどころ増築した室内はまるで迷路のようで子供にも人気がありました。

写真等を展示した旧待合室
一階から見た階段
階段踊り場
百畳もある大広間

3.宝湯の今後

現在橋元さんは地震に耐えて残った「宝湯別館の宿泊施設」のお風呂を利用して日帰り湯を再開しており、ゆくゆくは以前のような銭湯を再開することを目標としています。
「建物が壊れてしまったことは残念ですが、地震後に多くの人の励ましの言葉をいただきました。
私にできることはお風呂を沸かすことなので、温かいお風呂を地元の皆さんに提供して日常を取り戻してもらいたい。
まずは簡易的なテント型でも良いので、地域の人がゆっくりと利用できるお風呂を整備していきたいです。
珠洲の復興に携わる支援者の皆さんにも、少しでもいい環境での宿泊を提供することで役に立ちたいと考えています。
そして宝湯を知る多くの人に来ていただき、復興していく珠洲をその目で見て欲しいと考えています。」
と復興に向けて前向きに話していました。

宝湯別館と橋元さん
基本情報
  • 営業時間

    地震影響により休業中(地域避難者のみ入浴可能)

  • 取扱店

    珠洲温泉 宝湯

  • お問い合わせ先

    0768-84-1211

  • 住所

    石川県珠洲市宝立町鵜飼2-16-2

※掲載されている情報は、時間の経過により実際と異なる場合があります。

記事作成者:COREZO